こんばんは、こんにちは?ちぐさです。 月に1回のブログなんて全然無理ですね。難しい難しい
書きたいことはあるんですけど……気づいたらひと月終わって……(言い訳タイム)
さて、今日の議題は『射精とは赦しなのか』です。
この前、「射精が赦しだと思いました」と何やら信者のような事を呟いた変態がおりました。
目からウロコです。これから焦らし教の教祖を名乗ろうかと思いました。
射精という終わりに赦しを感じている。 そこに神秘とすらいえる美しい感情を感じた訳です。
普通、射精をしたくて懇願する状況など無いのです。 そもそも自身と共に人生を歩んでいる最高の親友であるはずのちんちんが、突然裏切ってちぐさに寝返るなんて事、想像すらつかないのかもしれません。
そうです。ゆっくりかつのんびり責められてるかと思いきや、気づけば快感に追い詰められて逃げ場をなけし、それを発散する方法は、ドライか射精しかない。
こうやって書き起こしてみると、私は普段なんて事をしているんだろうと思いますね。えへへへ
という訳で、射精とは赦しである。その意味を身をもって体験したいみなさんはどうぞいらっしゃいませ
その後、敬虔な信者となるか否かは……そのあと考えましょうね(^-^)
2025年9月11日